文章を書くのが苦手な人は、1文を短くするとイイらしい

日本語には、読点『、』をつける明確なルールは存在しないそうだ。ルールは存在しないけど、センスは存在するだろう。スポーツ選手のように、肺活量の多い人が書いた文章は『、』と『、』の間隔が長いと思う。なぜなら、『、』を打つタイミングとは、筆者が文章を読み返した際、息継ぎをした場所に打っていると推測されるからだ。僕は、肺活量が大きい。だから、意識的に多くの『、』を打ったほうが、読者にとって、読みやすい文書になるのではないかと思う。あと、僕のように、頭の悪い人間の思考は、多くの読者にとって、理解することが困難だから、あまり『、』を打たずに、1文を短くしたほうが良いとも聞いた。頭の悪い人間の思考は、絡まったタコ糸のようなもので、「文の始め」と「文の結び」が一直線に伸びない。だから、絡まったタコ糸のような文章をダラダラと書くのと、意味が不明になるらしい。文章力のない人は、1文を短く改行量産型の文章がいいのではないか。

 

文書の下手な人間は、1文のなかに、きれいなスジ(論理)を貫くことができず、絡まったタコ糸のような状態になるから、読者が理解しづらい。だから、タコ糸を短く切って、短い文書を量産するのが、初心者の文章表現法である。しかしながら、スジ(論理)は1文の中だけに存在しているわけではない。パラブラフの中にも存在するし、1つの記事の中にも、論理展開は存在する。

 

1文を短く書いて、文単位では正しい日本語を作っても、全体から見たら何が言いたいのか意味不明ということもあるだろう。まだ、僕のレベルだと、パラグラフ単位の論理展開をすることはできない。なので、たくさん文書を書いていくうちに、練習できれば最高だなと思う。

 

あと、日本語の論理展開を支えるのは「接続詞」であるが、僕は、接続詞の使い方もイマイチ分からない。このあたりも、たくさんの文章を読んだり、書いたりする中で、勉強していきたいと最終的には、1つの記事の中で、スジの通った理解しやすい文書を書けるようになるのが目標だ。とりあえず、1文だけでイイから、ちゃんとした日本語が書けるようになるまで練習だ!